はまなす放談

HPのリニューアルを機にコラムを設けました。
定期的というわけではありませんが、時代に遅れないように“放談”します。

vol.27 「アフターコロナ 私論(その2)」

不要不急の呪い

コロナ禍に関する様々な言動と行動を見ていて、妙な対立があることに気づきます。これは命に関わる問題だから、すべてに優先する。こう言われると、もう返答さえできません。世界史の情景の中では、命はさほどに大事に扱われなかった。現在でも。それは、その国、その時に倫理が不足していたか、ややもすると崩壊していて、逆に、憎しみ、怒り、非合理性が支配的だったからです。私達は、数々の不幸を経験して、生命を大事にするという優先命題を自ら立て尊重します。
これに対して、反論ではないので“対して”ではないのですが、日々、生きていくことも大事だという主張でもあります。お店の閉店、会社の休業・縮小、結果としての無収入、生活苦。これも大変困る、という訳です。双方、合わせると、命も大事だけど経済も大事だ、という主張になる。この対立はやがて1つの現実的な悩みになって現れました。日本も含めて、外出禁止という“命を守る”観点からの要請を、いつ解除するか悩んでいます。優先度は明らかなのですが、日々、生きてこそ命は大事、という主張もあります。命と経済なんてバカげた対立だと、済ませるわけにもいきません。しかし、この話はここで止めておきます。これは前置きです。以下が本論。
不要不急が言われています。ここには節約という意味合いもありますし、贅沢を慎むという道徳もあり、また高い効率を求めるという合理性も少しだけ感じられます。ですから不要不急は資本主義の精神に合致しているように見える。しかし、そうではないのです。
不要不急を一方的に主張すると資本主義は困ってしまう。というのは資本主義には不要不急がたくさんあるからです。極端に言えば不要不急を拡大していくことで成長を続けられる。とんでもない主張のようですが、これは経済学の教えるところです。
すぐに気づくことですが、何が不要で何が不急なのかは個人的な判断に任されています。それは個人にしか判定できない。私達は、それぞれ不要不急の範囲を決めているし、その範囲は私達が置かれた時と場合によって変化します。だから、不要不急は社会的には定義できません。
個人の自由や権利よりも国家が優先し、これが社会を代表してしまう。そういう国の典型は社会主義国とか、資本主義国でも独裁の国、政府の強権がある国々です。こういうところでは、簡単に、外出禁止令が出せるし都市封鎖などもできる。私達が目撃したとおりです。

不要不急の不要に注目します。不急も、実は同じことなので、「不要」をまず取り上げます。対象は商品。私達は、ある商品に対して、それが必要(不要の反対概念)か、そうでないか(不要)毎日のように判断しています。なぜ、ある商品が必要かどうか判るのかというと、それを使用した経験があるから、あるいは経験した人からの情報(広告なども一方的ではあるが情報です)を得ているからです。経験や情報を使って何を判断しているのかというと、商品の有用性です。これを効用といいます。商品は、何らかの役に立つように製造されている。そして、効用は使う個人によってその大きさが違う。さらに効用は、使う人の状況によって変化します。外出自粛だから店を閉めるとは限らず(営業の自由も、営業することの効用が基礎にある)、パチンコに行かないでと呼びかけても、それに高い効用をみている人は止められません。パチンコに行く人は、現状では、ネガティブな目で見られていますが、そうする人々が感じている、期待する、実際に得る効用は、否定できません。
こういう際だから、国が標準効用を決めたら、という権力出動への待望もありますが、それはかなり危険です。
要と不要が個人の判断に任せられている。この状況は人々の趣向の差だけ(つまり個性の違いの総和だけ)拡大します。
さて、ここで、商品の生産者に目を移します。生産者もどの商品を作ってもよい自由、つまり選択の自由を持っています。どの商品が儲かりそうか?こう考える時、生産者である私の思考は使用価値から離れている。なぜなら私が生産する商品は私は使わないからです。商品は他人に販売される。つまり他人・買い手の持つお金と交換される。使用価値・効用は、有用物として使用されるという商品の持つ属性のひとつですが、買われる、お金と交換されるという属性は、これとは別のもうひとつのもので交換価値といいます。交換価値と使用価値、日本語にするとわかりづらいのですが、『資本論』の第一巻の要です。交換価値と使用価値の対立、哲学者マルクスは弁証法を駆使して天才的な理論を展開していますが、それは今日の状況も説明できます。不要不急の流布で資本主義が困るというのは、両者の対立の現代的な表現です。本質が現象の露頭に出現している良い例なのです。

どの商品を生産したら儲かりそうか。大量に売れるモノ、と考えがちです。しかし、そうであれば多数の生産者が参入し競争になります。大規模生産には大きな投資が必要なので参入障壁は高いのですが、今日のように巨額の資金投入が金融機関を利用することで可能であれば、そうでもない。世の中を観察してみると、大量商品での大儲けは長く続かない。世間に大きな需要があるので、競争がほどほどで、かつ市場の分割があれば、安定的な収入にはなりますが、大儲けはあまりないのです。利潤率が高くない。
日用品は儲からない。その典型は農産物です。儲かるのは、需要は大きくないけどある程度あって、特殊な商品です。特殊といっても新しい発明によるものではなく、ある工夫によってさほどのコストをかけずに従来のモノとは差別化される商品です。人々の嗜好が拡大すると、それに応えて商品は次々と開発されていく。そしてこの拡大は方向性を持っている。それは、人々が生きるのに必須なもの(衣食住に関係)から、必ずしもそうでない、分類上は奢侈品、贅沢品、高級品へと。この方向を後押しするのが、後者に属する商品の方が儲かるという事情です。
大きな安定した需要のある必需品を生産・販売しても儲からない、という現象は今日では「コモディティ化地獄」として知られています。アメリカでいえば、代表的なのは小麦、ミルク、石炭など。日本では、ミルクに加えて、鶏卵、ティッシュペーパー、菓子パン、食用油など。これらの商品は多くのメーカーが参入して、各社の工夫はあるが、消費者の眼には同じように見える。そこで、この地獄から這い出すために新機軸を打ち出そうとする。つまり差別化・高級化路線、ブランド化です。結果として不要不急から離れようとするのです。(ジョセフ・ヒース、栗原百代訳『資本主義が嫌いな人々のための経済学』NTT出版、2012年、第8章を参照。)ついでに。ヒースの本は、上に示したような数々のエピソードがとても魅力的です。著者の博学が光っています。
結果として品目でみれば必須・必需品より、そうでない品目の方がはるかに多い。そして、そちらの方が利益は高いのです。もっとも、不況がやってきて人々の所得が下がってしまうと、必需品の方へベクトルは戻ります。高級品ビジネスというのはリスクは高い。しかし資本主義の精神はリスクを好みます。
資本主義は無駄と贅沢の上に乗って展開する。しかし、無駄というのは使用価値的に見たらなのであり、儲かるという観点ではそうでないのです。資本主義は価値法則に従う、特殊な価値観で律せられているのです。不要不急でも儲かれば、作るし売る。
資本主義は、生物学的に生きるのに必須という商品群から、その発展とともに離脱していく。ですから、改めて周辺を眺めてみれば、不要不急は実に多い。
「経済が成熟化すると、生活必需品や社会インフラ費用の割合は低下する一方、不要不急の消費の比率は高まる。誤解を恐れずに言うと、経済はほぼ「遊び」でできているのだ。」(日本経済新聞の日本経済新聞の編集委員、中村直文氏。同紙のOpinion 2020年4月18日付)
不要不急の中には、人間の文化的発達とともに現れる芸術的・文化的欲求を満たすものもあります。また、人間が放牧・移動生活から農耕・定住生活に移行した途端に発生した問題、それは退屈ですが、それを紛らわすための“商品”も出現します。観光、娯楽産業の提供するものは、それです。そして、退屈するのは、たいてい夜ですから、そのあたりのサービス産業も出現します。
経済は不要不急に向かって拡大していく。経済学者は、口にはしないが、これを容認している。しかし、理論の裏付けがないから、今度のことのような事態となり、不要不急は控えよ、とピシャリと言われてしまうと、途端にうろたえて、それでは“生活は成り立たない”という庶民レベルの反論に同調し、ポピュリズムの片棒を担ぐことになるのです。経済学が持つ、医学や生物学への劣等感も大いに影響しています。

不要不急は、商品を使用価値の観点から、生命維持に必要な順に並べるという操作によって生まれる概念です。これに対して、資本主義は価値法則で律せられた体系です。利益は剰余価値を源泉とし、それは商品が買い手にとってどう役に立つかには関心がなく、売れる・価値がつく、だけに関心がある。そして、傾向としては、必需品から遠いところにある商品に向かう。そこに高い利益が見込まれているのです。
人々の欲望は次々と展開し拡大していく。その最先端をとらえた生産者がもっとも儲かる。『資本論』のいう特別剰余価値が生まれます。
重要なのは、不要不急に属さない分野は図1-aの外被層に多いということです。さらに言えば、ここには利潤活動だけでなく、人々レベルの互恵・互助的な活動も多いのです。
人間にとって実は重要なのは使用価値です。有史以前から、ヒトは道具を使い自然に働きかけ有用なものを作り続けた。儲ける、なんていうことを考え始めたのは、人類史のごく最近のことです。※ ※『サピエンス全史』(上)(下)ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之訳、河出書房新社、2019年。
この本を読めば私達が当たり前と考えた価値・利益・資本の時代が、いかに短期間であるかわかります。人類が交換価値に目覚め貨幣を手にしたのは、ほんの数千年前のことです。もっとも、この価値革命に基づく資本主義は人類に偉大な生産力を与え、今日の物質文明を大いに発展させたのです。その初期に、『資本論』が描くような働く人々の悲惨な物語があったとしでも、です。

資本主義になって、価値・剰余価値が出現し使用価値と対立し、それを乗り越えて、交換価値の優位を確立した。コロナ禍によって引き起こされた事態は、外側からですが経済を襲い、一度、逆転してしまった使用価値と交換価値の関係の再逆転を迫っているのかもしれません。それは資本主義の変容を示すことになるかもしれません。

慣性不況

消費行動には慣性が働きます。松原隆一郎氏が言うように、経済学は消費を正面から対象にしてこなかったのはホントです。(『消費資本主義のゆくえ』、ちくま新書、2000年)セー法則を都合よく是認して、つくったものは売れる、として済ませた。だから今回のように消費が強制的に止まってしまうと、ただうろたえるだけで、どうしてよいかわからない。安易なポピュリズムに与党ともども野党まで飲み込まれてしまうのです。
私達は、生活の中で様々な慣性を持ち、それに従っています。特に理由はないけれど、ある定型パターンに沿って行動する。消費は生活の主要部分で楽しみも伴うのです。それが慣性の上に展開する。慣性は、特に理由もないだけに変化しにくい。それが変わるのは大きな外生ショックのある時です。
コロナ禍は人々の行動を物理的に制限したので、まず、影響が出たのは消費行動。そのあおりをまともに受けたのは消費関連産業です。変化の方向は前節で述べたように、不要不急への傾斜です。その分、文化、娯楽、贅沢、特殊な分野は敬遠されています。流行は、今はアレ、少し未来はコレ、というように動く。それは、意図的に生み出すものだし、次は何?の予想も立ちます。流行であれば人間は簡単に対応しますが、消費の基本ベクトルの変化については時間がかかります。それを一気にやってしまうのが外生ショックです。それが長く続くと、今度はそれに慣れてしまう。新しい慣性ができる。そうすると、元に戻るということはない。そして問題が生じます。既に述べたように、不要不急の消費分野はとても狭いのです。だから、需要の総対量は縮んでしまう。慣性ですから縮んだままになって固定化する可能性がある。これは特殊な、しかもかなり厄介な消費不況です。
見方を変えます。図1-aで、凍傷が最も激しいのは外被層であると言いました。ここには、末端の消費産業が多い。小売業、飲食店、その他サービス業などです。これらは、例外はあるものの家業が多く高利潤ではありません。そうであれば蓄積・予備金も多くは持ってない。生業ですから、収入・収益のほとんどは生活費になり大金は持っていません。(もちろん、例外はあります。)外皮層の凍傷は長く続く心配がある。たから、まずここに焦点を当てて対策を打つのが妥当です。その際のスローガンは迅速・無差別です。迅速は当然。早くしないと慣性は強まり定着してしまう。元に戻る可能性は時間の経過とともに少なくなるからです。
予算制約を考えれば政策対象を絞り込むのが原則ですが、それには時間がかかり迅速原則に反するので、今回はできません。ナイチンゲールが戦場で敵・味方の区分なく傷ついた兵士を助けたように無差別に行動すべきです。

迅速・無差別で、事業体の消滅を止め、雇用を守る。自営業・小経営者の多くは厳しい環境にあるので、自分の代で店を閉めるかどうか迷っている人も多い。でも、やめるには決断も勇気も要る。従業員に、もう会社は辞めるから、と言い渡すのは辛い。コロナ禍が迷っている人々の背中を悪い意味で押してしまう。それを止めないと雪崩現象が起きます。どうせ消滅してもいい小経営、という冷徹が見方もあるでしょうが、雪崩現象になったら、この領域から大量失業が発生します。しかし、無差別対策は、それはそれで重大な副作用をもたらしますが、それは後に述べます。お店の家賃補助も、後に述べる懸念はありますが、当面の有効性はあるでしょう。
“元には戻らない”、その最大の理由は慣性ですが、その実例は、これから山のように出現します。投資家ウォーレン・バフェットは、「航空会社の株式はすべて売却した」そうです。彼が、航空機の乗客数が元には戻らないと判断したからだそうです。でも絶対に元に戻らないかというと、そうでもない。居酒屋に行かなくなった人々を戻すには居酒屋の側からの努力が必要です。それは航空業、ホテル業、観光業、皆同じことです。黙っていれば慣性が勝つでしょう。
地方経済も多くは外被層にあります。地方創生という目標は忘れられたので、逆風です。地方の駅前商店街をみると、消費行動の変化についていけず、崩壊しかけています。それが今回の災害で一層ひどくなる。地方という住み場所は、日本資本主義にとって必要なのではなく、日本の社会にとって必要なのです。社会政策的視点から、日本人が安心して住める場所を作るという基本方向で、大きな政策を展開することが望まれます。それが日本の資本主義を守ることもあります。

政策批判

国民にマスク2枚を配る。当初のものはどうも不良品だった。ガーゼを重ねて製作されたそれは、どうも大人の顔には小さくみえる。それでも数百億円かけてやる。郵送料、目に見えない宣伝費、すべて込みにしたら、とても高いマスクですね。
10万円といえば庶民には大金。これが全国民に配られる。その費用は13兆円!今回のコロナ対策費は先に発表されたものが100兆円超。さらに24兆円もの国債を出す。ほとんどは赤字国債。
10万円を配っても、消費は増えません。人々を温泉に行かせたいなら、レストランに一家そろって食事に行かせたいなら、コロナ禍の終息宣言の後にしたほうがよい。ある経済評論家が「今は何もしないで、お金(財政力)を貯める時」と言っているのは同感です。政治家は再選を気にして、何かアピールすることをしたい。人々の側も、あれをしてくれ、これをしてくれと要求する。まさに絵に描いたようなポピュリスムです。本稿のテーマではありませんが、日本の政治はあきらかに劣化し、財政はさらに危機に向かっています。
 大盤振る舞いの背景には2つの言い訳がありそうです。1つは、緊急時だから“なりふり構わず”というもの。もう1つは、MMT(Modern Monetary Theory):現代貨幣理論)という、まことに都合のよい理論を信じたふりをすることです。後者はL.R.レイというアメリカの学者が唱えた説です。これは、信用創造論を極端にしたものです。この説については、建部正義さんが『経済』で論評しています。(「価値論なき貨幣理論」『経済』2020年6月)
国債も心配です。最大の保有者は日本銀行です。その次は郵政グループですが、彼らも2020年の3月末決算をみると国債保有額を減らしています。ゆうちょ銀行、2019年比4兆6300億円の減、かんぽ生命は1兆3100億円の減。では13兆円の赤字国債を買う人は?
野党も、もっと出せとしか言いません。財源についての見解なしに、ただ執行額の増額だけを要求する。これでは10万円の功績を挙げた政党を批判することはできません。及川智洋さんというジャーナリストが『左翼はなぜ衰退したか』(祥伝社新書、2014年)で、財政問題・赤字の是正議論を放棄したことを彼らの衰退の一因として挙げています。無責任はあちこちに浸透しています。少し前のギリシャのようなことにならなければよいのですが。

10万円に話を戻せば、ほとんどが貯蓄されて市中の銀行経由で日本銀行に還流し、残るのは国債残高の天文学的増大、つまり中央銀行の資産勘定の拡大と、同額の日本銀行発行額の増大、負債勘定の拡大です。少し将来をみると、こんなにたやすく手に入ってしまった10万円に、本当にそれだけの価値があるのかという疑いが出てきます。これは、タヌキの葉っぱかもしれないと思い、使えるうちに他の手持ちの日本銀行券(カードでも同じこと!)も使ってしまおう。そうなれば結果は恐ろしいことになります。もうどこにいっても商品の棚はすべてカラ。そう、今日のマスクのようのことが全商品について起こるのです。
少し冷静になって考え、打つべき政策を考えましょう。そこで図1-aに戻ります。
 ひとつは、外被層の傷みを軽減する。それは象徴的な表現ですが、人々に近いところです。凍傷がひどいのは、産業分野的には消費産業、そして属性としては小経営・自営業。ここが耐え切れなくなって大量脱落すれば大量失業が発生する。しかもこの失業は、手に職のある技術職は少なく、サービス業に従事する単純労働者ですから転職が難しい。地方にある小経営、そこに働く人にこそ、何かを届けねばなりません。
もうひとつは、消費が凍結して、そこから普及して製造業へ。特に外被層にある小さな製造業に大きなしわ寄せがいく。しかし、これは放置しておけない。既に述べたように、国内サプライチェーンの末端を構成しているのです。これをダメにすれば、ほぼ永久に外国依存、中国依存から抜け出せない。そして、この外被層の小さな製造部門こそ、創意・工夫の生まれる古里なのです。ここに注目し、効率よく政策を展開する。それには10万円を配るほど、予算はかかりません。

V字回復はない!

まだ将来を議論するのは早いようですが、見通せることだけ記述しておきます。
V字回復を期待する声は多い。コロナ禍は経済から内生したものではなく外生です。それなら、それがおさまれば、経済は再点火して再生する。果たして、消したストーブを再点火するように元の通りに燃えるでしょうか。長い間の休みが、人々に休養効果をもたらし、“さぁ、やるぞ!”となるでしょうか。
回復の条件がいくつかは揃っているのはホントです。まず資金。低金利は続く。といいうより、金利は上げられないのです。もし、そんなことになったら既発の国債価格は暴落し、その持ち手は危機に。そう、最大の持ち手は日本銀行でした。ここは、無尽蔵に債務を増加させています。“大丈夫!”お金は印刷すればいいのだ。本当でしょうか?
資金の次は技術ですが、こちらは大丈夫でしょう。もっとも、現在の初等教育の様子、大量の学級崩壊、子供達のゲーム依存の惨状、等々をみると、少し先の未来への確信は揺らぎますが。
V字回復が期待できない、とする根拠を挙げます。ひとつは、一連のコロナ対策で人々の依存心が培養され大きくなった。それがコロナ後に負の遺産として残り、そこに例の慣性が働いて、長期化する。つまり国家依存症です。
その原因を作った、作りつつあるのが数々のバラ撒き政策です。政権がやると言った。普段なら反対する野党は、“足りない”“もっとやれ”と言う。誰も、財政危機のことは言わない。つまり歯止めはかからないので、事態はどんどん進む。

一例として、コロナ対策のひとつの目玉とされる「持続化給付金」を取り上げます。これは産業経済産業省が管掌する補助金で、ほとんどあらゆる業種(会社だけでなく、協同組合・財団、社団まで)で、売り上げが前年同月比ある程度(現在は50%以上)減ったら申請できる。金額は中小企業で200万円、個人事業者・フリーランスで100万円です。
申請は殺到している。たった2日間で、全国で30万件を超えた。そんなに受付処理できないだろうと思いきや、手続きは極めて簡単。前年の売上を示す書類、例えば税務申告書、そして今年の該当月の売り上げを示す書類(これは帳簿類でよい)を持参し、50%減を証明すればよい。2020年の4月は、一時休業したところが多いし、営業していても50%減はザラですから、潜在的申請件数は300万件を超えるでしょう。このバラ撒き政策のために経済産業省が用意したのは2兆3000億円。何かすごい額ですが、10万円給付の13兆円に比べれば、まだ少ない!。ともかく、予算はじきに使い果たされ、追加コールが起こるでしょう。お小遣いを子供にやりすぎると子供は概してダメになる。補助金は魔薬ですね。
イソップ物語のアリとキリギリスの話を思い出します。資本主義はもともと働き者のアリさんが主体となって構築した世界です。勤勉で節約というのはM・ウェバーが発見した資本主義の精神で、イメージはアリさんの世界です。

補助金や給付金が横行すると、アリさんでいることがバカバカしくなり、果ては全員キリギリス!になる。それだと未来社会も何もない。過去の人々の財産を食いつぶす享楽人(ウェーバー)の世界です。 復興・回復にはアリさんの力が必要です。依存症の人は回復を待つ人であっても、回復、ましてV字回復は担えません。要は、これからの経過でキリギリスをこれ以上増やさないことです。よく、アントレプルヌール(起業家精神)と言いますが、これはアリさんの精神から発生します。そして、その場所はといえば、外被層なのです。ですから外被層全体が壊れてしまうことは防がねばなりません。緊急性のあることはやって、多くの力(財政力)は温存し、しっかり構造を見極めてじっくりやったほうが大きな効果を期待できます。マスク2枚も、10万円も、持続化給付金も、休業補償金も、“貰って得したキリギリス”で終わってしまいます。

補論:〈リーマンショック後の教訓〉

戦後最大の危機と言われたリーマンショックがあったが、世界経済の立ち直りは早かった。株価をみれば、まさにV字回復であった。今回も、株価にはV字回復がありそうだが、経済には無い。なぜか。 リーマンショックは図1-aの中心部から生じた。大手金融機関に構造上の問題があり、それが製造した金融商品もそうであったにもかかわらず、世界中に販売されていた。
今回は外被層からである。被害の総額はわからない(まだ計算できない)。しかし、件数(倒産件数、失業者数)、GDPのマイナス率は今回のほうが大きくなる。復元のプロセスも、リーマンショックでは大手金融機関がいくつか消え去った。それは、言わば業界の整理を進め、生き残った金融機関に生き残 りの利益を与えた。
株価について。世界で長期かつ大幅な金融緩和が実施され、超低金利政策が定着したため、実体経済の不調を反映しない金融相場が出現し、その後、ゆっくりした実物経済の回復が後を追いかけた。だから、株価だけを見てみるとV字回復に見える。
もっとも、今回も、大不況を尻目に株価の先行回復はあり得る。それを可能にするだけの豊富すぎる資金がある。また、懸念されていた過剰生産は需要の急速な冷え込みで、むしろ均衡状態に向かうかもしれない。この方向は、行き過ぎれば「はまなす放談No24」で示したようにインフレーションだが、そこに行き着くまでにはいくつかの過程(スタダフレーション)を経る。2013年頃から世界経済の景気が上向いたという幸福もある。

問題にすべきことはこの先。リーマンショックでは、すぐ後にV字回復があったために、その原因とか構造問題への反省がほとんどなされなかった。むしろ株価が上昇したので、それこそ“ええじゃないか”になった。この経済界の風潮は、ポピュリズムや社会の依存症とも混合し、全体として無責任ムードをかもし出した。国有財産の不正売却から始まり、役人の文書の改ざん、黒塗り文書、政界要人の虚偽発言、桜を見る会の参加者名簿の廃棄、公務員の自殺等々、あらゆるスキャンダルを生んだが、国民は“ええじゃないか”を踊り続けた。
今回は、消費というGDPの最大需要項目が直撃され、その復元への道は遠い。そして外被層が大きな凍傷被害。ここには、それこそ無数の、数百万の事業体がある。
リーマンショックでもそうだから、今回もV字回復、という期待は甘すぎる。
あまり目立たないものの、リーマンショックのとき、同じことがある。それは大企業保護。既に述べた持続化給付金は中小企業専用だが、注意深くみると大企業も対象の政策・対策が多い。例えば雇用調整助成金だ。これは手続きが面倒、一定の計算の必要があるため、社長が経理もやっているような小企業にはなかなか申請できない。この制度をもっとも量的に活用するのは航空会社、レストランチェーンなどで、月に数百億円になりそうだ。世界の航空会社について言えば、その社債を国家保証にする話さえ検討されている。日本でも同様。「航空会社に融資枠を1兆円以上も設定する。
大企業については政策投資銀行が1000億円の出資枠を用意している。融資については、大手航空会社が既に兆円単位の融資枠を、やはり政策投資銀行、大手金融機関に要請をしている。しかも、この融資には政府保証を付けるようだ。雇用調整補助金についても、件数では中小企業ですが、総額でみれば最大の恩恵は大企業にある。日額8,330円から15,000円への引き上げも大企業を念頭においている。中小企業への出資についても、地域経済活性化支援機構という立派な名称の官民ファンドが1兆円を用意している。しかし、これは、取引銀行(つまり地方銀行)が仲介・要請することが条件です。彼らが、不良債権化したときの連帯責任を恐れて腰を上げない可能性を危惧している。
航空会社はナショナルフラッグといって一種の公共事業、いわば国の財産でもあるので、倒産されてしまっては困る。タイ国際航空のようにあっさり見捨てられるケースもあるが、威信を気にする国家はこれを避けたい。
大企業救済はリーマンショックの時も、GM、トヨタなどが対象となった。今回も、終わってみたらやっぱりということはあるかもしれない。

濱田 康行

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