はまなす放談

HPのリニューアルを機にコラムを設けました。
定期的というわけではありませんが、時代に遅れないように“放談”します。

vol.15 投資信託はなぜ売れないのか

 日本人はリスクを好まない。その精神は歴史的・文化的に形成された。外国に攻め込まれた経験は、かの元寇以外にないし、占領されたのは第二次世界大戦後の短期間しかない。国境を多くの国に接する国々、また多くの民族から形成される国々とは違って、日本は安全な国だった。これは幸いなことだった。
 この幸いは国民の経済的気質にも現れる。お金を稼ぐには真面目に働くこと。利殖は二の次。他から突然、奪われることがないなら、これで充分。そんな真面目でおおらかな精神(ここではお金に対する態度・姿勢)が日本人には定着した。
 それを象徴するものが少し前まであった。それは郵便貯金である。かつて全国には24,000局もの郵便局があり、240兆円もの国民の貯金を預かっていた。ほとんどすべてが少額の貯金であった。大方の日本人は、ここでは庶民という言葉が適当だったが、賭博性のある取引でお金を増やそうとは考えていなかったのだ。

《 大阪と東京 》

 銀行は企業に融資をする機関である。それは資本主義の主要構造であるから、経済の中心地に形成される。日本では歴史的にはそれは天下の台所としての大阪であったが、明治という近代が進むにつれて東京に移っていく。おそらく封建時代と違って、資本主義経済が政治を必要とするからである。大手企業の本社は東京に集まり、それに伴って大阪に成立した銀行も本部を東京に移していった。もちろん、東京には渋沢栄一などの資本主義の先駆者によって近代的銀行業が形成され、これが大阪をはじめとする他の経済中心地に成立した銀行を包摂して全国区金融システムに成長し今日の姿になる。
 証券会社も型の上では似たような経路をたどる。現在の中心地は?それは東京証券取引所がある東京に決まっている。最大手である野村証券の発祥の地は大阪であり、始祖は大阪商人の野村徳七だが、この会社もその発展過程で拠点を大阪から東京に移す。しかし、銀行と証券には違いがある。それは精神というべきものである。
 象徴的な言い方を敢えてすれば、東京精神と大阪精神だ。東京は大きな意味で資本主義の中心で、その上に最初から銀行が乗っていた。銀行は自分が近代的な存在であることを宣伝する必要はなかった。これに対して、大阪は経済、というより商いの中心地だ。中心性の意味と範囲が違う。しかしこの大阪精神は、天下の中心が東京になり証券業も含めて大阪の様々な機能が東京に移り同化していくとき、大阪のナショナリズムを主張する唯一のものであった。大阪精神は商いの魂であり捨てるべきものではない。特に証券界は強くそう思って東京に乗り込んだのだ。
 証券業は大阪のコメ相場から始まったから、ここだけはリスクをとらない日本人とは別枠だった。というより、内円であったのだろう。大阪精神にはリスクをとることをよしとし積極的これに向う。現物市場だけでなく先物市場が早くから発達したのはその発露である。そして、重要なのはこの大阪精神は資本主義にとってのそのエネルギー源として必要だった。だから東京はこれを拒絶するどころか、迎え入れ包み込んだ。

 《 銀行と証券 》

銀行は東京精神の上に展開した。もちろん、各地に成立したが、その精神はオールジャパンであった。さらに、その普及、人々の受容が進んだのにはもうひとつの理由がある。銀行は、融資する機関として存在するがそのためには預金を集める必要がある。この仕事は独立して展開することができ、日本では多くの貯蓄機関が発展した。その代表が先に述べた郵便局である。後に都市部では民営の貯蓄機関(この中に銀行も含まれる)と官営の郵便局が対立・競争関係に入る。この競争は、日本人の貯蓄率を高めることに大いに貢献したのである。後世は批判の的にされるが、財政投融資が日本の公共インフラ整備を推進し、資本主義の発展を支えた。  貯金という行為は他人にお金を預けることである。それが日本でだけ極めて広範に抵抗なく進んだのは郵便局という官営の力が大きかった。お上がやっているから、わずかな利子でも人々は貯蓄をしたのであり、お金が手元に余れば、ドロボーが多い国柄でもないのにせっせと貯金した。同時に、この習慣は、余ったお金を運用してより大きく増やすという行為から日本人を遠ざけたのである。  証券会社に戻ろう。証券制度も資本主義の発展に不可欠である。途上国がある発展段階で整備しようとするものに必ず証券市場があるのがその証拠であり、中国が良い例だ。お金を集積してそれを企業に集中するという機能は銀行と同じだが、証券の場合は、それが倍化され速度が速くなる。大きな額のお金が迅速に集められ供給されるから、その分リスクも大きくなる。しかし資本主義は国内競争の激化、さらにグローバル競争の発展で証券市場、正確に言えば株式市場は不可欠となり、リスクの許容範囲も広がった。
 しかし問題がひとつある。リスクがあること、それを許容しないことには資本主義の発展がないことは、資本を受け取る側には当然のことだが、供給する庶民の側にはそうでもない。彼らの居所は東京だけではなく全国津々浦々なのである。
 象徴的な言葉を使えば、銀行は預金と融資、証券は投資である。後者は概念的にも媒介項がなく、まさしく投資なのだ。
 前者は全国区の制度として既にあり、そこに後者は参入することになる。しかも全国的な視点からは特殊な大阪発祥の精神をもってである。日本に証券制度が展開するには最初から障害があった。それは文化的・歴史的なものに加えて資本主義の発展態様に由来するものもあった。だから投資信託という装置が必要となった。もっとも、この必要性は各国共通だが、日本では特にこの工夫が必要だった。それは証券の庶民化・オールジャパン化にとって不可欠な要素だった。

《 統計 》

「2015年現在の株式や投資信託への投資比率は、米国が45.4%、英国が35.7%であるのに対し、わが国は18.8%である」(永沢裕美子 「投資信託の現状と課題」『季刊 個人金融2017.4春』)
以下の二つの事情を加えておこう。
①日本の政府はこの数十年、“貯蓄から投資へ”という運動、つまりお金の流れを変える運動を続けている。口先だけでなく、配当課税率の引き下げ等の税制優遇を通じてそれを行っている。2014年に始まったNISAも2016年からの子供NISAも同類の措置である。
②日本は低金利時代に入って10年以上が経過した。最近ではゼロ金利だ。つまり預金や貯金でお金を増やそうと思ってもできない。逆に日本の株式を買うと平均1.5%~2%程度の配当が得られる。
 こうしたいわば追い風があるのに、永沢さんが指摘するようなことになっているのはなぜだろう。
 ここで投資信託について簡単にふれておこう。既に述べたように、預金・金融の世界と投資の世界は、間接金融と直接金融と区分されるように異なるのだから、前者がすでに普遍的に展開している領域に後者が参入していくとすれば何らかの工夫が必要である。工夫のひとつは少額でも参加できるということ。これが必要なのは郵便貯金が対象としたものがなんであったかを考えてみればよい。第二の工夫が、どの会社に投資するべきかについての判断を請け負うことである。株式への投資と賭博の区別がつかない庶民には説明も必要なのである。
 現在販売されている投資信託は二つの工夫に加え、改良を加えた金融商品なのである。しかし欧米のようにそれが普及・拡大しないのは既に述べた歴史的・文化的背景、間接金融が先に展開したことなどの事情に加えて、以下に述べるような要因があるものと思われる。

《 理由 》

①投資信託の数(本数)が多すぎる。冒頭に引用した永沢さんの図(図-1)によれば、2016年末に6000本もある。これは東京証券取引所に上場されている企業の倍以上である。庶民は新聞の株式欄をみてもその会社数の多さに圧倒され、どれにしたらいいか見当もつかないので投資信託にしようと考えたのに、実はこちらの方が多いのだ。これは、多くの投資信託がクローズの日を決めていないタイプだからである。状況を考えれば、“おしまい"にしてもよいような投資信託が多く残存しているからだ。6000もあったらどんな新聞も掲載することはできない。数が多すぎることは宣伝上も逆効果だ。数が多ければ新しく売らねばよいとも思うが、実際には日本で売られている海外ものも含めれば一年に500~700本は出ている。その理由は後に述べよう。
②販売手数料が割高である。投資信託を買うと代金の他に手数料を支払う。その比率をみると2011年で2.69%になっている。2000~3年頃は2.2%台だったものが傾向的に値上がりしている。この間、日本はデフレでモノの値段は下がっているのに投資信託の販売手数料は逆行している。2017年の現在(6月)までに、新たに発売されたものをみると、3%を超えるものもいくつもある。さらに言えば、この間、金利は下がり続けほとんどゼロになって既に何年もたっている。預金金利を預金という金融商品の価格とみなせば、投資信託はずいぶんと割高なものにある。
投資信託には年間の信託報酬もある。これは買った方が毎年支払うのである。料率は投資信託によって様々だがだいたい1%ぐらいである。
こんな高い料金を取る方にもワケ(・・)はある。
要は手数がかかるというのである。金融庁がやかましいからコンプライアンス上で省けない手数が多い、また購入者が読みそうもない目録見書に費用がかかる、なにより販売にかかる費用が高い。しかし、どこか言い訳じみている。投資信託の中身はとても複雑である。特に仕組債と呼ばれているものはそうである。しかし、敢えて複雑にしてしまった、そう思われるのだ。
日本の購入者がどれくらいの期間、購入した投資信託を保有するか。図-2が諸外国と比べたものだ。日本は他国と比べて短く2年と3年の間である。もし3%の手数料を払って、さらに1%の年間報酬を払ったとすると、2年で売却した場合の総コストは年に2.5%、3年だと2%になる。そんなに利益がでているのだろうか。どうも事実は逆のようだ。買っても、利益が出ないどころか損をする、苛立つ顧客をなだめるためにこんどは儲かりますと新商品を売りに行く、つまり売らせて買わせるのだ。顧客は損をして、さらに手数料を払い、販売店である証券会社はノーリスクで儲かる。新規の販売額から解約額を差し引いたものを純増というが、それは10%もないのである。つまり、多くは置き換えなのだ。そして古いものを整理できないからやたらに本数は増える。あなたの買った投資信託は残高も少額になり死んだも同然などといえば、損失を知らなかった客、つまり寝た子を起こすことになる。現存の状況は数々の投資キャンペーン、ゼロ金利という追い風、そして団塊世代の退職(つまり退職金)、企業の投資控え等々による、金余りなどの好条件に恵まれているのに投資信託は伸びていない。
新商品の開発にコストがかかる、というのは理由になる。多くの場合、商品を設計する巨大システムの構築に多くの費用が発生しているし、それを動かす金融技術者たちの報酬はすこぶる高い。しかし、システムのコストを商品の購入者が負担するという論理はどうか。沖縄県の特産の紅型(びんがた)のように、同じ染物が二度製作されないように購入者の目の前で型を壊してしまうのならともかく。要は、損をした顧客に新しく買ってもらうには、昔のものより複雑で無いければと思い込んでいて、そのために巨大なシステムを敢えて動かしているだけではないか。
それが“私の会社のシステムはすごいし、それを使いこなす私は頭がいいですよ”という自己顕示だとしたら、販売店でそれを説明する人はつらいし、顧客には迷惑な話だ。
AIを使って統計した商品、それはビッグデータを解析した成果が盛り込まれているはずだ。しかし現実は甘くない。発売直後に値下りしてしまうケースも少なくない。
③、これは①の帰結でもあるが、投資信託の本数が6000もあると、ファンドマネージャー1人当たりの担当本数も増えてくる。公表されていないか正確にはわからないが、一人当り数十本は担当している。これは患者の多すぎる医者、入所者の多いケアハウスのようなもので、一件当りの目配りが充分かどうか疑わしくなる。もちろん、ファンドマネージャーに過重労働を強いることはできない。構造に無理があるのだ。
彼らにしてみれば、担当する投資信託のうちでも残高の多いものを重点的にケアするのは当然だ。残高の多いものとは、比較的新しいものが多いはずだから、過去のものには目が届かなくなる。しかし、運用報酬は、適宜、銘柄を組み替えるなどのプロの判断に対して支払われている。投資家はそう信じてこれ払っている。また、個々の投資家にしてみれば、その投資信託が大きいのか小さいのかなどは関心外である。彼は何をどれだけの口数買ったかを覚えているだけだ。年に一度送られてくる運用報告書をみてもそれは形式的・画一的に記述されており、なんというファンドマネージャーがどれだけの情熱を持って運用に当たったかはまったくわからない。それなら、人間はかかわらずコンピューターがすべて自動的にやっていると宣言しているETF系ファンドの方がずっと合理的ということになる。

《 むすびにかえて 》

投資信託を買う人、つまり私達はどう対応すべきかについて私論を述べて、むすびとしたい。
最近では多くの株式が売買単位を1000→100のように下げている。だから少額のお金でも買える範囲は広がった。それでも一万円で買えるものはほとんどないから投資信託の第一の存在意義はやや薄まったとはいえ、あるにはある。
輝きを増しているのは、どれに投資するのか、そしていつどうなったら売るのかのプロの判断である。この判断が秀れていたかどうかは投資信託の成績に表現される。つまりファンド利回りに現れ、それから手数料(購入の際の手数料+毎年の運用報酬)を引いたものが投資家利回りだが、ランキング表の上の方にあるものを除いてそれほど高くない。しかも上の方は外資系の運用するものが多い。
6000から選ぶのは至難であるが、いくつか心得るべき事はある。
①学習。投資信託の成績、特徴などは発売元がすべて公表している。時折、これらを分析した論文、記事が関係雑誌に掲載される。インターネット上の情報には信用度の問題は残るが、参考にはなる。
②方針。株式一般というのではなく、自分のテーマを決めておく。投資信託の設計者は投資家の心をとらえるべく様々なテーマを掲げて勧誘してくる。それに対応する、あるいは惑わされないためには自分のテーマを設定しておくことだ。両者が合致したら買う。セールス・トークに動かされないことが肝要だ。
③投資信託は投資である。投資は成果が出るまで時間がかかる。だから期間は長めに設定する。子孫に残すという長期でもよい。長い期間を考えないと入口で支払う手数料が割高になる。長期保有の割合は年間の報酬が低いものが適当である。高いシステムを使ったから、設計に多くの優秀な人々がかかわったからといって良好なパフォーマンスが約束される訳ではない。未来のことは人間にも機械にも完全には予測できないし、歴史はくり返さない。
④手数料や報酬には十分に目配りをする。販売会社に悪意はないが、彼らだけが儲かり投資家は損をするという事例は比率でみて多い。同じようなものを買うなら手数料の安いものにする。同質の投資信託でも販売する証券会社でずいぶん違う。時にはバーゲンセール、販売キャンペーンに伴う“おまけ”などもある。株は均質であり、スーパーの野菜売り場で買う大根とは違う。
⑤投資信託は株式に関心を持つための導入にし、①で述べたようにこれをきっかけに学習し、やがて自分で株式を選択できるようにする、その一歩として投資信託を使うのがよいと思う。 2017.06.20 濱田 康行

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