はまなす放談

HPのリニューアルを機にコラムを設けました。
定期的というわけではありませんが、時代に遅れないように“放談”します。

vol.11 A社のクジ運

〈 A社のクジ運 〉

 高校野球のシーズン。せっかく甲子園に行ったんだから一勝したい。選手のみならず応援する人々の願いだ。うまくいって三つほど勝つと準々決勝・ベスト8だ。こうなると、テレビを中心としたマスコミでの報道量も多くなる。学校の経営者にしてみれば学校の存在を世間に知ってもらう願ってもない状況だ。
 どうしたら勝ち進めるか?もちろん、選手の能力、監督の指揮能力などあるが、これは内的要因。外的な、しかも決定的なものとしてクジ運がある、というのが先日のある集いでの結論。
 対戦相手はクジで決まる。トーナメント表のどこに入るかで決まる。ひとしきり、クジ談議していて、ふと思った。人の一生にも、企業の命運にもクジみたいなものがあるな。

 そのクジには二つある。ひとつは時間クジ、そして場所クジだ。
 時間クジとは、いつ生まれるかだ。ヒトの場合、“あの人は早く生まれすぎた”なんていう言いが廻しある。才覚をもって生まれ誰しも認める秀才でも時代の壁に突き当たる。あるいは時代の流れに合わずに苦しむ。たとえば『赤と黒』の主人公のように愛が時代に切り裂かれる、というのもある。
たまたま自分の生まれた時代に、自分の能力をはるかに凌駕する天才・秀才が存在するなんていう貧乏クジもある。天才モーツアルトの陰に隠れてしまったサリエリがよい例だ。
 企業にとっても、それがいつ生まれたか、どんな時代に出現したかは、その成否を占う重要な外的要因だ。企業は人間の意志で設立するのだから、時期は選べるじゃないか、と思うかもしれない。しかし、大企業が計画的に子会社を設立するのと違って、個人企業として出発するケースを考えると、時代状況を熟慮してなどというのはない。創業は、なにかに追われるようにして、あるいは熱にうかされたように、それこそ無我夢中でおこなわれるのだから。

 場所クジとは、ヒトがどこに生まれるか、企業がどこに設立されるかだ。ヒトにとって出生地は大きな意味を持っている。悪く言えばどこまでもつきまとう。企業の場合、出生地の拘束は、さ程でもでないように思うかもしれないが、私の観察ではこれもかなり大きい。日本のどこに生まれるかは、企業にとってもクジなのだ。

 全く専門家ではないので、戦国時代を例にとると笑われるかもしれないが、わかり易いのでお許し願うことにする。
 良い例が信長だ。気性が荒く粗暴であったことはどうも確からしい。晩年はどうか知らないが、うつけの若殿だった様子は小説にドラマにしばしば描かれている。その信長が天下武布をなし遂げる。彼の決断力とか統率力とかは措いておこう。
 彼の場合、時間クジも場所クジも大当りだと思う。戦国時代に生まれ成長している。既成秩序が壊れかけていなければ彼の野心は展開できない。それこそ時代の壁というか既存の秩序にぶつかるだろう。そして短期的な時間クジの当たり方がすごい。戦国大名としては大先輩ではるかに強力な武田信玄とか上杉謙信とかが先に死んでしまう。信玄は、信長を蹴散らして上洛するつもりだったが、その途上で命を落とす。
 場所クジ。本拠地としての清州はいまの愛知県の岐阜寄りのところ。京都から遠くないし、そんなに近くもない。強敵の信玄からは長野県という山岳地帯で隔たっていた。隣の家康は戦に弱いので同盟が成立しやすかった。今川は、これは運もあって、奇襲して滅した。
 清州は信長が本能寺で死んでからも重要な地であり続ける。1582年には歴史に名高い清州会議が開かれる。この会議で巧妙に立ち回った木下藤吉郎が次の天下人になる。江戸時代になっても交通の要衝である清州は有力者に望まれる場所だった。

 場所クジで恵まれた信長と好対照をなすのが、仙台の伊達や長州の毛利だ。京都までが遠すぎる。上杉謙信も京への遠さを嘆いたという話が伝わっている。
 ついでに言えば、時間クジの大当りは家康だろう。鳴くまで待とうホトトギス、とはよく言ったものだ。家康は自らの長命で当たった時間クジに磨きをかけた。


〈 社外取締役 〉

 私はある会社(A社)の社外取締役だ。ここからはこの会社の話になるのだが、守秘義務もあるので、話は面白くないかもしれない。
A社は、時間クジに当たっている。この会社のやってきたこと(現在も進行形)を一言でいえば、古いコト・モノ・組織を新しいそれに置きかえたことだ。格好よく言えば革新者としての役割を推し進めてきた。しかし、それをするには古いモノがなければならず、かつ革新するための道具がなければならない。どちらも時代が用意してくれていた。もちろん、経営陣の才覚を評価しないわけではないが、古いモノが手つかずで残されていたという時代の状況は自らの手では作り出せない。

 A社の発祥した旭川は、医者の街、病院の街といわれる程に医療機関が多かったが、旧体制の下にあった。旧体制が崩れるのは、外からの仕掛に呼応して内乱がおこる場合だ。内と外の呼応は、それは偶然の一致のようなものだが、たまたま旭川でおきたのである。

 A社はそんな旭川に生まれた。場所クジも当たりだろう。古い体制が、ひと突きすれば崩れるような状況にあって、しかもそのひと突きの主体がいなかった。他にライバルがいないというのは大都市ではなかなかない。A社はやがて札幌に移ってくる。これは、場所クジ当りの第二弾だ。当時は何度目かの株式公開ブームであり、ブームが地方中核都市にまで及んでいた。公開ビジネスは証券会社等の関係者に一瞬にして大金が入るから、公開候補企業探しは東京では過熱し、いわゆる釣り人多し・オーバーフィシングだった。ベンチャーキャピタルが札幌にオフィスを構える。そんなとき、A社は既に札幌にいた。東京だったら候補者が多すぎて目立たないが、札幌では輝ける。旭川なら、きっと釣り人の目が届かないから、札幌は場所クジ当りだった。

 確かなことはわからないが、信長の武器は鉄砲だ。長篠の戦で武田勝頼を破る。A社の場合、鉄砲に相当するのは薬剤師だ。この会社は日本中で卒業する薬剤師のかなりを採用している。そうなると、小さな薬局で採用しようと思っても難しくなる。ひとつの医院にひとつの薬局という体制はずいぶん前に形づくられた。だから大方の店主は高齢で、後継者がいない。つまり鉄砲がないのだ。

薬剤師が鉄砲なら、それに込める弾丸は薬剤だ。大量になれば安く買える。バーゲニングパワー。小さな薬局が買う量の1000倍も買うとしたら、価格は相当違ってくる。もはや勝負にならない。かつて蜜月関係にあった医院も病院もこうなると助けてはくれない。お互いの世代交代がドライな関係への転換に拍車をかける。さらに言えば多くの中小病院は経営危機だ。医師には例外はあるが、経営能力がない。社長が威張って社員に命令する。ドラマのそんなシーンをみて、“経営”だと思っているレベルだ。彼らにしてみれば、自分達を救ってくれそうな大きな薬局チェーンのほうに目がいく。旧体制の崩壊は始まっている。問題は、この逆転、白い巨塔の崩壊が顧客である患者のためになる方向に進むかどうかだ。A社が尊敬される企業になるかどうかは、この方向でイニシアティブをとれるかだ。厚生労働省、年金問題の不始末、製薬業界と医師の癒着、問題は多く道は遠いけど。
 A社のもうひとつの武器はM&Aであるが、これについては別の機会に述べよう。


〈 報酬改定の底流 〉

 昨年、調剤報酬が改定された。実は大手(売り上げ50億円以上だから大手でもない!)に厳しく、いわゆるパパママ薬局に緩い措置だったから、A社にとっては改訂ではないのかもしれない。 
 なぜこういうことになるのか。底流にあるのはふたつ。

1. 反独占思想。同一のビジネス分野・産業分野で数社(極端な場合は一社)の寡占が進んでしまうと、自由競争が阻害され様々な弊害がおこる。これは、先進国で歴史的に観察された事実である。そこで、独占・寡占への様々な規制が生まれる。1890年にアメリカで反トラスト法が、日本では戦後すぐの1947年にいわゆる独禁法が成立し、公正取引委員会が組織される。自由競争こそ資本主義のエネルギー源だ、そう信じれば、この方向は正しかった。しかし、事業体は大型化した方が一回の取引コストが低下するから、効率だけ考えると寡占化は否定されるべきではない。理論と実態が一緒になっての、せめぎ合いがここにはある。
アメリカは反独占思想が強い。そのアメリカに占領された日本にも、それは影響し、日本の独禁法になる。話は少し脱線するが、独禁法と北海道大学は縁が深い。戦後、日本の独禁法の草案を書いた人がいる。今村成和先生だ。この人が後に北大法学部の教授になり、やがて北大の総長になる。今はなくなったが、正門近くに“大滝”という蕎麦屋があり、今村先生はよくここに昼食をとりにいっていた。先生の書いた色紙が飾ってあった。 

もうひとつ、反独占思想が部分的に反映した日本の制度がある。それが中小企業政策だ。
戦後、日本は失業者があふれていた。しかし日本の名だたる大企業は生産設備の大半を失い雇用創出はできなかった。人々は生活に困り、自ら会社を営むようになった。自らが自らを雇用する自営業、そしてなんとか軌道に乗った小企業が一人二人と雇用を生み出した。つまり中小企業は雇用の創出者であり社会の安定装置でもあった。だから日本では、中小企業政策は単なる反独占政策以上のものになる。
 “人々のために”を標榜する当時の左翼にとっては、中小企業政策は弱者対策の一面もあったから、まさに国の基本政策だった。戦後最初の社会党政権・芦田内閣は中小企業庁を設置し、初代長官に蜷川虎三を任命する。若くして京都大学の教授となり、戦争責任を感じて大学を辞し浪人していた蜷川に白羽の矢を立てたのである。蜷川は、この後、左翼嫌いの吉田茂にクビにされたが、京都府の知事選に勝ち24年間にわたってその職にあった。  日本に左翼はいなくなったが、中小企業政策を支える哲学は底流として生きているし、近頃の地方創生で新たな注目を集めることにもなった。地方の企業といえば中小企業なのだから。

 規模が小さいということは、資本主義経済の物差で測れば“非効率”なのである。だから、大きな規模の組織に編成されていくことは、資本主義経済が進化しているなら、必然の方向である。もっとも、ここには留保が必要だろう。経済的に非効率(あるものと比べて)ということは存在意義がないということではない。経済から社会に視野を拡大してみれば、ヒトはパンのみに生きるにあらず、だから、なおさらそうである。
 さて、様々な産業分野で中小企業の数(会社数および付価値)の多いところでは、近代的な経営力と技術をもった限られた数の企業が業界の再編・近代化を進める可能性が大きい。もちろん、業種によっては小企業に向いている(伝統産業・職人型)分野もあるが、それは案外少ない。


〈 薬局・調剤という古い世界 〉

 表1は、分野別に中小企業のシェアを示している。調剤・薬局は医療・福祉分野だが、ここの付加価値は10兆円でシェアは約40%である。おそらく10年前と比べれば、寡占化はかなり進行しているが、見方によれば、まだ進行の余地がある。
 理髪店などが全国チェーン化するとか、家庭教師を原型とする教育支援分野に全国区の大企業が出現するとはひと昔前には想像もできなかった。イノベーションというものに、その時点では私達などはなかなか気づかない。そこに気づいた人に先行利益が生ずるのは当然のように思える。



江口政宏氏が作成。『中小企業の経済学』商工組合中央金庫編 千倉書房 2016.第4章の図表4-6


表2は商業統計から作成されている。ここにみるように商業界の盛衰は様々である。日本の消費全体がやや下がりぎみなのだから、中国人・アジア人の爆買いで支えられなければこんなものかもしれない。
 ドラッグストアの統計は2007年になって登場したので時系列の推移はわからないが、薬局の多くは専門店・中心店のどこかに分類されていたものと思われる。そこの下がり方が厳しいのである。この傾向は、淘汰が完成するまで続くから、A社の成長も続くことになる。何度も言うようにそれはそれでよいのである。革新者の側面を否定する人はいない。
 ただ破壊者は創造的破壊者でなければならない。もちろん、創造はすべての復元を意味しない。古きモノ(・・)が内包していた文化(・・)を保存することだ。
 スーパーマーケットの進出で地元商店街が壊滅した。しかし、地元の、あるいは駅前の商店街にはなにがしかの文化があった。人々がホッとする空間(ただ歩き回る、通りすぎるだけにしろ)だったのかもしれない。シャッター通りの廃墟をみせられて、人々は失われたのもを感じるのである。


出典)『商業統計』から杉本修氏(札幌学院大学)が作成

〈 これから 〉

 A社には外国人株主も多い。彼らは“儲けて配当しろ、そして株価を上げろ”が主要論理だ。それは資本主義ではアメリカ的という冠詞をつけた上で合理的だ。国内の株主も統計によれば、短期(気?)になっているという。つまり短期間での株価の値上がりを望む訳だ。
 古いモノの維持とか文化とか、悠長なこと言っちゃ困るよという声が聞こえる。でも企業はそもそも文化なんでしょう!企業は人々のためにあるんでしょ!なんていったら、社外取締役はクビかもね。 2016.08.04 濱田 康行

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