はまなす放談

HPのリニューアルを機にコラムを設けました。
定期的というわけではありませんが、時代に遅れないように“放談”します。

vol.08 新幹線について

 東海道新幹線の駅が多いのは静岡県。なんと6駅。しかし、“のぞみ”はまったく停まらない。神奈川県の新横浜を出発すると次は名古屋、つまり愛知県。
 どうしてこんなことに?地元に政治家もいるし、人口でみても産業でみても実力県なのに。
 実は同じような“通過”が東北新幹線にもある。大宮を出発すると次は仙台という列車がある。つまり宇都宮は栃木県の県都なのだけど停まらず、福島県は、郡山も福島も全部パス。ひどいんでないの。

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 命題:超特急:高速鉄道は大都市にしか停まらないのはなぜ?
 新幹線で考えてみよう。まず、事実上、すべてが東京発。九州新幹線で新大阪発があるけど、すべての新幹線は東京に通ず、だ。そういう風に最初からつくってある。
 乗客。いろいろな人が乗る。それも事実だけど、朝や夕方の“のぞみ”に乗ると圧倒的にビジネスマン風の乗客が目につく。朝なら新聞を読んでいるか眠っているか。夕方なら缶ビール片手にワサワサと乗り込んでくる。
 東京と大阪、名古屋という大都市のビジネスマンはなんの用があって移動しているの。わかり切った話。仕事だ。では、仕事は、なぜ静岡県や福島県の中規模都市では生じないの。そこでもまったく無いことはないけど、16両編成を満席にするような数はないのだ。  仕事にもいろいろある。年に一度の集るのだけ、セレモニー類似もあるけど、ここでは創造的なの、例えばある企画を事業化するなんていうプロジェクトを考えてみよう。日本が資本主義として成功し一時は世界第二位までなれたのは、創造的な仕事が多かったからだ。それを有能な人々が協力してスピードよく実行したからだ。

 つまり創造的な仕事。何か新しいもの(モノでもコトでもよい)を生み出すような仕事を、多様な職能を持っている人達が協力して行う。今なら、バーチャルでも、テレビ会議もアリだけど、やはり人は人と会う必要がある。決定的な瞬間はフェース・ツー・フェースなのだ。
 仕事のプロが集まっているのは東京。これはもう断トツ。日本には上京という特別な言葉があるくらいだ。東京には大企業の本社の8割以上が、大学の6割以上がある。地方にも、あることはあるけど、ひとつの都市をみれば“点と線”しかない。面的展開をしているのは東京で、かなり遅れて大阪、そして名古屋、そこからかなり遅れて札幌・仙台・広島・福岡の地方中核都市だ。

 創造的な仕事には人材の組み合わせが必要。それが東京ならかなり揃っている。大阪にしかない、というのもある。それならそれを繋ぐ必要がある。つくり出すという観点では東京だけで完結のケースもあるけど、全国に売るとなると拠点は必要。地方中核都市の大きな役割は販売拠点だろう。
 静岡県は西部は名古屋がカバーし、東部は東京がカバーしている。同様に福島県南部は東京が北部は仙台がカバーしている。東京にいないビジネス人材がこの両県にいるということも皆無ではないが、めったにない。

 “のぞみ”が、それに準ずる列車が東京を拠点にし、大都市にしか停車しないのは以上の理由が大きい。これだけじゃないが、主要な理由はこれである。それはビジネス用であるからだ。
 では、なぜ、そんなに急ぐのか。それはビジネスがスピード勝負だから。“明日があるさ”では必ず負ける。このことが、停まらない、をさらに進める。駅に停めるには減速が必要だし、停車時間もロスになる。
 技術者の心情が以上の事情に加わる。鉄道技術者は“速い”をめざす。東京-大阪間、3時間を切る、などを目標に技術を磨いている。乗客だって早く目的地に着くことを望んでいる。ビジネスマンにとって車窓の景色などどうでもよいのだ。山陽新幹線は防音壁でほとんど景色はない。東北新幹線の盛岡以北は長いトンネルばかりで、どこがどこだか分からない。でも、ビジネス中心なら、これでいいのだ。

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 以上述べた新幹線の論理で北海道新幹線を考えてみよう。
 大都市を繋ぐという点では仙台と札幌が結ばれてはじめて意味がある。今回の部分開通ではそれこそ話にならない。部分であることは収益も部分。2030年まで赤字は続くのかもしれない。ギブ・アップが心配。
 札幌―仙台の連携も早くしないと効果が失われる。既に札幌は航空機で東京と接続している。札幌は、羽田から飛行機でいく東京なのだ。仙台は新幹線で東京と太く結ばれている。だから現在でも東京を経由して両都市は結ばれている。どちらの都市も人口のピークを越えているし、後背地は没落している。東京対抗軸をつくるなら早い方がよい。温暖化で東京の夏は耐え難くなっているから、仙台-札幌の枢軸形成は早い時期なら可能性はある。そのときは、東北大学と北海道大学は合併し、北日本に世界に輝くアカデミズムを打ち立てるのがよい。


 <補論>
 東京からの移住について。一極集中への対応策として注目されているが、どうかな?引退した人が移住する。札幌の中心部のマンションは売れる。しかし、消費は思った程、増えない。いつまで生きるかわからないから、むやみにお金は使えない。財産は減らしたくないから、フローの年金が消費の上限となるが、それでは中国人の爆買いを代替できない。決定的なのは、このタイプの移住では人口は増えない(もちろん、例外はあるかもしれないが!)。

 政府は、まち、ひと、しごとなどと適当に並べているが、決定的なのは仕事。それも、あちこちに在る仕事ではなく創造性のあるものだ。それは、プロ人材の集積があるところで生じる。技術的なことを考えれば大学や研究所は不可欠。札幌や仙台は、こういう企画を生み出せる最低限の大きさになっている。両都市の連絡と東京からの仕事人の移住があれば希望は一層ふくらむ。
 ついでに地方創生。スローガンは文句ないが、方法が違っている。すっかり寂れた地方を再生することも創生することもすぐにはできない。「はまなす放談」5号にも書いたが、地方の没落は、資本主義経済の傾向・トレンドであるから簡単には止まらない。

 地方をダメにしない、つまり人の住めないところにしない方法は、地方の都市をまず守ること。そのためには地方中核都市を繁栄させること。同じことだが、ここで東京に接続して、存在を示すことだ。現在では東京に対抗しているのは京都だけだ。1200年の歴史は東京にもどうしようもない。しかし、京都にあって対抗軸たりうるのは文化、大学、そして少数の京都企業であり、ビジネスの世界では小京都にすぎない。

<補論2>
資本主義は大都市を出現させる。もちろん都市の発生由来はいろいろ。典型的なのは日本では城下町。
 しかし当時はそんなに多勢集まる必要もなかった。大江戸(・・・)といっても100万人程度だ。
 大都市の発生の直接の原因は近代的工業の発達。多くの労働者を必要とし、それが周辺農村から流入し、旧市街の周りにニュータウンが形成された。ニュータウンというと聞こえはよいが、ほとんどはスラム化した。当時のロンドンを描いた風刺画に「ジン横丁とビールストリート」がある。労働者は過酷な長時間労働のウサを晴らそうと強いお酒とジンを飲み体を壊す。金持ちと中流はゆったりとビールを飲んで健康に楽しく暮らす、という19世紀版ピケティ氏の図だ。

 綿工場では紡績や紡織に機械が発明された後も、多くの労働者が使われた。日本では絹工場だ。大竹しのぶ、が主演した“あゝ野麦峠”をみた人も多いだろう。マルクスの描くように資本主義は血と汚物にまみれて大きくなった。大都市もそうなのだ。人口の急激な集中には無理があった。特に住宅。高度成長の時代、2DKでさえ夢の住宅だった。新橋のガード下で一杯やるなんていう光景もあった。
 もっとも、都市への異常な人口集中は、巨大な生産力を生み、やがて集まった人々は喰っていけるようになった。若い人々が集まったから人口も増え、都市は豊かになり、やがて東京タワーやスカイツリーとなるわけだ。
 住む場所は八百八町から新宿の木戸の外に、利根川の向う岸にまで広がる。そうなると交通手段は不可欠。その発達がまた人々を呼び込む。通勤地獄はいつもの風景。乗客を電車に押し込める“押し屋”と呼ばれた屈強な駅員さんの姿もあった。

 札幌は、周辺の炭住からの移住で一挙に人口を増やした。石炭から石油へ、いわゆるエネルギー革命で炭鉱が閉山され、多くの人が札幌に押し寄せる。北海道の高度成長は本州より少し遅れて始まったが、これが良いタイミングだった。周回遅れで札幌は拡大しはじめ、ついには日本第5位のマチとなる。こんなに急成長しても大きな都市問題が発生しなかったのは、札幌独特の要因がある。京都などと違って平野が広く地形的に拡大の余地があった。また道路計画が先行していて、日本ではめずらしく人より先に道があった。札幌の都市計画は、そもそも明治政府という強大な権力によってその礎が敷かれたが、その後の承継もうまくいったのである。札幌は資本主義という本来無計画な体制がつくった例外的に計画的な街である。

 昔からの都市。それは農業を基本とした時代に成立したから、そんなに大きくない規模で全国に分散していた。そこに資本主義という要素が加わり、いくつかの都市は大都市に変貌する。政治・文化・経済の機能を分散せず敢えて一極化したことにより東京は膨張した。  地方では城下町が農産物・水産物の集散地となり都市として発達した。東京からの交通が不便なうちは企業の営業拠点がそれらの都市におかれ、いわゆる支店経済の街が形成された。日本人の移動は、農村→近くの都市→東京と二段階で進んだ。そうであれば、東京からの人口流出がもしあるとすれば、東京→地方都市が第一段階となる。地方都市を雇用のある状況で保てと主張する根拠のひとつでもある。
2016.03.16 濱田 康行

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