はまなす放談

HPのリニューアルを機にコラムを設けました。
定期的というわけではありませんが、時代に遅れないように“放談”します。

vol.02 憲法違反

 学者が国会とか霞が関の審議会に出かけていくのはいくつか理由がある。ひとつは虚栄心。誰でも呼ばれるわけではない。エリート役人のおめがねにかなったとか、議員さんに“こいつは使える”と思ってもらった証明。学者仲間で話のネタ、というより自慢にもなる。学者といっても、精神は普通の人だから仕方ない。
 地方の学者の場合、修学旅行効果というのもある。高校や中学の修学旅行で国会見学をした。そういう世代は国会に呼ばれる、これだけで舞いあがる。

 しかし、真面目な理由もある。それは、自分の意見を聞いてもらえる、そして首尾よく事が進めば、それが国の方針に反映される。そうなったら大いなる達成感が味わえる。学者という地味な人生に光が射す。
 参考人は、まずテーマに対する自分の意見を所定の時間内に述べ、それから議員さんの質問に答える。自分から質問はできない。

 審議会の委員というのは権威があった。ウチの教授は○○審議会の委員だから、と言えば、あたりは平伏し、教授会も欠席、講義も休講で文句はでなかった。それは昔の話だけれど、いまでもその分野の第一人者が招かれることに変わりはない。

 先日の衆議院憲法審議会で、自民党が推薦した参考人も含めて3人全員が集団的自衛権について憲法違反の見解を示した。痛快だ。学者なんて都合よく利用するだけと思っていた連中を仰天させたからだ。

 後日談も面白い。先生達に否定されてしまった集団的自衛権を首相をはじめとして政治家たちが支持し、学者の違憲判断は“現実ばなれ”していると反論。国会の会期を延長して法案を既定方針どおり通してしまうそうだ。大物議員さんが私も東大法学部卒だ、その昔は弁護士だ、などと叫んでいる。

 参考人を呼ぶということは、現時点で自分たちの知識が不十分であること、要するに素人だから専門家の意見を聞くということだ。実は、そういうのが単なる形式だ、ということを一連の出来事が示してしまった。学問を、その専門家を尊重するというのはタテマエであって本音ではないことは、呼ばれる方もうすうす判っていたのだが、今回はそのタテマエも崩された。  法学部に入学しても、あの世界の緻密な議論についていけなかった。司法試験に合格するまでは勉強した。そういう人々が憲法を“現実的”でないと批判している。現実的とは条文を適当に解釈するということか。それなら憲法はこの国になくてよいのだろう。通したい法案が憲法違反だから憲法を変えようという本末転倒にならないよう願っている。

 選挙権を持つことになったAKBの18才のメンバーが憲法を諳んじているという。議員の皆さん、賛否はともかく、まずはここから始めよう! 2015.07.01 濱田 康行

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